グローバリゼーションと金融問題

国際資金循環と国際通貨システムへのインプリケーション

 

                            

藤 田 誠 一(神戸大学)

 

1 はじめに

 「グローバリゼーションの成果と課題」という統一テーマで、筆者に与えられた報告テーマは「グローバリゼーションと金融問題」である。金融のグローバリゼーションという場合、年代としては1990年代が主たる研究対象となるであろう。80年代に先進国で進展した金融の自由化・国際化が、発展途上国をも巻き込み、民間の機関投資家による国際資本移動が巨大化した結果、、経常収支赤字を上回る資本をアメリカに流入させ、アメリカの機関投資家によるエマージング・マーケットへの投資とその逆流が、通貨危機を頻発させたからである。

 しかし、ここでは金融のグローバリゼーションの意味を、もう少し長いタイムスパンの中で考えることにしたい。国際通貨・金融問題を考える上で、グローバリゼーション下の国際資本移動といった市場の問題だけでなく、主要国、特に基軸通貨国のマクロ政策、国際通貨システムのあり方といった問題が重要であると考えるからである。

 本報告では、1960年代、70年代、80年代と比較することを通じて、現代のグローバリゼーションの特徴を明らかにするとともに、グローバリゼーションの下では、基軸通貨国を中心とする国際資金循環が不安定化する危険性を持つことから、主要国間の経済政策の協調がより重要となる点を強調したい。最後に、90年代末に登場したユーロが、国際通貨システムのあり方、および政策協調を考える上で、大きなインパクトを持つという点にも触れたい。

 

2 グローバリゼーションの意味

金融のグローバリゼーションは、次の3つのレベルでとらえることができる。第1は国際資本移動のレベルで、各国の金融自由化・国際化の結果、金融・資本市場が世界的に統合され、国際資本移動がグロスでもネットでも巨大化し、その結果各国の金利水準の連動性が高まり、金融政策の自由度は制約される。国際資本移動の活発化は、国際的な資金調達の機会を増やし、国内の投資機会を活用することを可能にする反面、資本流入が経常収支赤字を拡大させたり、流入した流動的な資金が突然流出することで、通貨危機を引き起こすといった負の側面を持っている。

第2は金融機関のレベルであり、世界的に統合された市場において、国境を越えた金融機関の競争が行われる結果、市場間の優位とともに金融機関の優位も明確化される。また、グローバリゼーションの新たな担い手として、ミューチュアル・ファンド、ペンション・ファンドなどの機関投資家、さらには高レバレッジ機関(HLI)としてのヘッジ・ファンドの登場や、市場としてのタックス・ヘイブンの活発な利用もこのようなミクロのレベルに含めて考えることができる。

第3は制度・ルールのレベルで、市場間および金融機関の競争の結果、制度やルールが国際的に(強制的に)統一されるという傾向が現れる。いわゆるグローバル・スタンダード、すなわちアメリカン・スタンダードへの収斂である。アジア通貨危機後のIMF・世銀の対応への不満や、ロシア通貨危機に端を発するLTCMの破綻を経て、IMF・世銀の改革が進行中であり、IMFの政策に対する批判が多く提出されているが、依然として市場主義的な考え方は根強い。このような視点を重視すると、グローバリゼーションはアメリカの陰謀であり、アメリカはIMF・世銀を通じてアメリカの金融資本の利益を最大化しているとする「ウォール街財務省複合体」(Bhagwati(2000))、「ワシントン・コンセンサス」といった点が強調されることになる。

本報告では、主として第1のレベルでグローバリゼーションを捉えることにし、それ以外のレベルは必要に応じて触れることにしたい。IMF体制下で規制されていた資本移動は、70年代にはユーロ市場の成長とオイルマネーの循環という形で活発化した。この時期の国際資本移動は、主として銀行のシンジケート・ローンの形態をとっていた。80年代には、先進各国の金融自由化・国際化と、アメリカの高金利・ドル高、双子の赤字を背景に、証券形態での先進国間の資本移動が活発化した。90年代には、金融自由化・国際化が発展途上国でも実施され、金融・資本市場が一体化し金融のグローバリゼーションと呼ばれるようになった。グローバリゼーションの特徴としては、@ネットの資本移動に比べグロスの資本移動が巨大化したこと(図表1)、AそれがGDPや貿易の伸び率を遙かに上回ったこと(図表3)、B資本移動に占めるポートフォリオ投資の比率が上昇しその結果流動性が高まったこと(図表2)、C発展途上国への資本流入についてもポートフォリオ投資の比率が高まったこと(図表13)、などがあげられる。

 

3 グローバリゼーションと資本移動

(1)グローバリゼーションの功罪

 金融のグローバリゼーションは、国際的な資金過不足の調整を容易にすることにより、資本輸出国、資本輸入国双方の経済厚生を最大化するというのが、通常の教科書的説明である[1]。資本輸出国は、国内の余剰資金を現時点で輸出し、将来時点で返済される資金で生産以上の消費を可能にし、また資本輸入国は、現時点の消費と投資のための不足する資金を輸入し、将来時点でそれを返済することにより、世界全体として効率的な資源配分が達成される。このような資金過不足の調整の場が国際金融・資本市場であり、各国の金融自由化・国際化の結果これらの市場がグローバルに統合されることは、世界全体の経済厚生上望ましいとの考え方である。

ただし、このような「異時点間の最適化」という考え方の背景には、政府部門は中立的(均衡財政)であり、民間部門の最適な貯蓄(消費)・投資決定により一国の経常収支(資金過不足)が決定され、国際間の資本移動はこのような国際資金過不足を受動的・事後的に調整するという仮定がある。また、国際間の貸借がどのような資金形態で行われるかについては、特に問題とされていない。しかし、90年代のエマージング・マーケットにおける通貨危機の原因を考えると、メキシコやブラジルなどのラテンアメリカ諸国における巨額の財政赤字の存在や、タイに典型的に見られるような、投資に必要な額を大きく上回る過剰な資金流入[2]による通貨危機の発生など、このような仮定は必ずしも満たされているとはいえない。また資金の形態を見ると、従来直接投資や銀行融資などの長期の安定的な資金流入に頼っていたエマージング・マーケットが、証券形態や短期の銀行融資に依存したことも、「21世紀型の通貨危機」を引き起こす原因となった。このように、一連の通貨危機はグローバリゼーションの負の側面であるが、その背景にアメリカを中心とする巨額の国際資金循環があったことは忘れてはならない。

 

(2)基軸通貨国と「世界の銀行」

 基軸通貨国は、@国際決済システムの提供、A国際的信用創造、B国際的金融仲介の3つの機能を果たすことが期待されている。@は自国通貨による国際決済が円滑に行われるように、自国の銀行を中心とする決済システムを提供することであり、Aは周辺国が必要とする短期の流動資金を受動的に供給するという機能を指している。問題は、B国際的金融仲介機能である。

 60年代のドル危機の発生とドル防衛の過程で、「流動性ジレンマ論」とそれに基づく国際通貨制度改革の流れに対し、「世界の銀行」としてのアメリカの役割を重視する立場から反論が行われた。キンドルバーガー等による「少数意見」[3]である。彼らは、アメリカの国際収支(総合収支)赤字は、アメリカの国際的金融仲介の結果であり、ドル危機はそのような機能に対する無理解から発生したと主張した。

 この点について滝沢健三(1980)は、国際金融仲介機能は国際収支赤字を必然化するものではなく、経常収支黒字の範囲で長期資本輸出を行うことで、安定的な資金供給が可能であると主張した。「基礎収支均衡論」は、第一次大戦前の基軸通貨国イギリスの国際収支構造を戦後のそれと比較した『マクミラン委員会報告』の考え方を基礎にしており、基軸通貨国を中心とする安定的な国際資金循環の条件として提示されたものである[4]。しかし、その後のアメリカの国際収支構造は、「基礎収支均衡論」から大きく逸脱し、経常収支赤字を資本流入でファイナンスするという構造へと激変した。このような「不安定な」国際資金循環が、90年代のグローバリゼーションの下で出現したことの意味を、以下で考えなければならない。

 

4 アメリカの経常赤字とファイナンス

(1)アメリカの経常赤字とそのファイナンス

 アメリカの国際収支構造は、「基礎収支均衡論」で判断すると、60年代以降一貫して悪化している。60年代には、経常黒字を上回る民間・公的資本輸出が、短期流動債務と対外公的債務の増加でファイナンスされていたが、70年代には貿易赤字の拡大により経常黒字は消滅し、民間資本輸出を対外公的債務の増加でファイナンスする構造へと変化した(図表4)。

松村文武(1993)は、外国通貨当局による主として財務省証券への投資を、ドル体制を支えるものとして「(公的)体制支持金融」と呼んだ。

 80年代には、アメリカの国際収支構造はより脆弱化する。経常収支が83年以降急速に拡大する一方、民間資金(直接投資+証券投資)の流入では十分ファイナンスできず、対外投資は縮小することになる(図表7)。民間資金流入の半分以上は、高金利とドル高を誘因とする対米ポートフォリオ投資であった。85年のプラザ合意後のドル安と、87年のブラックマンデーにより民間ポートフォリオ投資が減少すると、公的通貨当局による対米投資(外貨準備増)がそれを補完した。松村文武(1993)は民間対米ポートフォリオ投資を「私的体制支持金融」と呼び、80年代には「2つの体制支持金融が重層化」し、ドル体制はより弱体化したとしている。また奥田宏司(1996)は、「83年以降は自身の経常収支赤字の拡大によってネットでの資本輸出能力を完全に失い、逆にファイナンスされる立場にな(り)・・・・アメリカはドルによる国際信用連鎖を自らは「主体的」に形成できない立場に陥った」(24ページ)としている。

 このようなアメリカの脆弱な国際収支構造は、90年代には一変する。経常収支は93年以降急速に拡大するが、赤字を大幅に上回る民間資金がアメリカに流入したからである。特にドル高政策に転じる95年以降は、経常赤字の2倍以上の民間資金(直接投資+証券投資)が流入し、アメリカの対外投資を可能にしたのである(図表8)。97年以降は、国債ではなく株式・社債に対する投資が急増した。このような対米民間資金流入が、IT関連産業を中心とするニュー・エコノミーを支え、さらにはエマージング・マーケットへと資金を循環させたのである。まさに、アメリカは国際資金を吸い上げ、それをばらまくという意味で、「国際資本を循環させるポンプ」[5]の役割を果たしているということができる。

 

(2)90年代の国際資金循環の評価

 IMF(1997)は、このようなアメリカを中心とする国際資金循環を、金融資産の水平貿易(two-way trade)として捉え、アメリカは「安全で流動性の高い高収益資産(米国債、優良企業債)を提供することにより国際資本を引きつけ、国際金融市場を通じて流動性は低いがより高い収益を生む資産に再投資」(p.3)するという「国際的金融仲介」の機能を果たしている、と評価している。また、奥田宏司(2002)は「アメリカによるドル信用連鎖形成の「復活」」(73ページ)としている。ここでは、90年代の国際資金循環をどのように評価すべきなのかを検討したい。

 まず80年代と比較して明らかな点は、@アメリカへの資金流入がアメリカのドル高・株高によるドル建て資産の高収益性に引きつけられた自発的なものであったこと、Aまた流入資金がアメリカ国内の投資を活発にし(図表9)アメリカ経済を活性化したこと、である。

しかし、アメリカの投資が必ずしも長期安定的な投資ではなかったことは、「短期借り・長期貸し」により周辺国に流動性を供給するという、「世界の銀行」の機能とは反対に、「長期借り・短期貸し」のポジションであったことを意味する。それは、アメリカの赤字のファイナンス構造としては80年代に比べ安定化したということを示していても、そのような「短期貸し」の流動化が通貨危機を引き起こす点を考慮すると、積極的には評価しにくい。

 山本栄治(2002)は、90年代の国際資金循環の特徴を、ネットのISバランス(経常収支)をはるかに上回るグロスの国際資本移動にあるとし、このような「過剰な」国際資本移動の多くが高レバレッジ機関(HLI)とオフショア・センターによって担われている点に、その「不安定性」を見ている。報告者の見解は、90年代の国際資金循環の中に「不安定性」を見るという点では、これに近い。しかし、ここでは国際資金循環という枠組みについて、もう少し検討したい。

 国際資金循環とは、経常収支不均衡に現れる各国の資金の過不足が、国際金融・資本市場を通じてどのように調整されたかを、事後的に見たものである。事後的には、世界全体の経常収支の合計は(理論的には)ゼロとなり、資金過不足も完全に調整される。この点に関し湯本雅士(2001)は、反グローバリズム論の根拠[6]は、国際収支勘定に対する無理解から発していると批判している。しかし、経常赤字は必ずネットの資本流入によってファイナンスされるというとき、事前と事後の区別、基軸通貨国と周辺国の区別が重要である。前者は、本来必要とする最適な資金輸入額を超えて資金が流入する場合には、不要な資金を海外に輸出するか、あるいは本来必要でない投資や消費に回すことで、事後的には経常赤字とネットの資本流入は一致するという問題である。後者は、アメリカの場合経常赤字は自国通貨(対外債務)によりとりあえずは「自動的に」ファイナンスされるため、周辺国のような「痛み」を伴わないという点である。基軸通貨国アメリカの国際収支構造は、国際資金循環を通じて周辺国の実物・金融経済に大きく影響する以上、事後的に「経常収支+資本収支=0」という論理では収まらないように思われる。

 また、Eatwell and Taylor2000)は、グローバリゼーションによる国際資本移動が、為替相場や金利のボラティリティを高めることを通じて、先進国の投資と成長の低下をもたらしたとしている。しかし、実物的な投資と成長の低下による「資金の過剰」が、金融的投資を通じた収益を求めて、グローバリセーションを推進したと考えるべきであろう。ISバランスを上回る国際資本移動はそのことを物語っており、「過剰な」国際資本移動が流入国の政策節度を失わせるとともに、それが逆流したときに通貨危機を引き起こすのである。

 

(3)サステナビリティ問題

 アメリカは経常赤字を「自動的に」ファイナンスできるといっても、資本流入が対外債務を累積させることを考えると、無限に可能というわけではない。「自動的に」ファイナンスされたはずの資金が他の通貨に転換された場合は、アメリカといえども外国通貨による借り入れという形でのファイナンスが必要となるからである。これまでのところその必要がなかったのは、ドルに替わる有力な国際通貨が存在しなかったからであり、後述のユーロの登場はアメリカの「自動的」ファイナンスに対する制約要因となろう。

 アメリカが経常赤字を出しながら国際資金循環の中心にいるという現在の「ドル本位制」は、永久に維持可能なのであろうか。経常赤字のGDP比が4%を超えた2000年頃から、サステナビリティ問題が再度議論されている。一国の経常赤字・対外債務が通貨の暴落なしに収束可能かどうかという「サステナビリティ」は、その国の成長率、その国の金利、債務の通貨構成、債務の種類(満期、流動性など)に依存していると考えられる。Mann1999)はOECD諸国の経験から、経常赤字のGDP比4.2%がクリティカル・レベルであるとしている。アメリカの場合自国通貨の債務であり、90年代後半の資金流入が安定的なものであったことから、当面80年代のようなサステナビリティ問題は発生しにくいとする見解が一般的であるが[7]、アメリカへの資金流入が今後減少傾向を強める場合には、近い将来に再燃すると考えられる。

 アメリカを中心とする国際資金循環、特に90年代のそれを考える上で重要なことは、国際資金循環の内容は変化したが、アメリカが「ドル本位制」の下で経常赤字を継続しているという事実である。松村文武(1993)は、国際通貨制度の矛盾は、「中心国たるアメリカ国際〔経常:報告者〕収支赤字の継続にその根本的な原因がある」としている。次に、国際通貨システムと経常赤字との関係を検討しよう。

 

4 グローバリゼーションと国際通貨システム

(1)国際通貨システムの変遷とその改革[8]

 国際通貨制度が解決すべき問題として、「調整・流動性・信認」があげられる。IMF体制では、アメリカ以外の各国はドル(あるいは金)に対して平価を設定し、介入により平価を維持する義務を負わされていた。アメリカは、ドルの金交換性を維持する限り為替市場への介入を免除され、調整負担はすべて周辺国が負担していた。流動性は主としてアメリカの赤字により供給されていたため、ドルの信認との間に「流動性ジレンマ」を発生させドル危機を引き起こした。

フロート制移行後は、流動性(60年代までは公的準備を指していた)は、金融市場の発達によって借り入れ能力のある先進国については重要な問題ではなくなった。また調整問題は、為替相場の変動により自動的に解決されるはずであったが、主要国は必ずしも為替相場の大きな変動を容認しなかったため為替市場に介入する一方、アメリカのみが調整問題をビナイン・ネグレクトすることにより、「弱いドル本位制」(McKinnon)が続いてきた。信認の問題はドルの金交換停止により回避されたように見えるが、世界が名目アンカーを欠き、通貨制度全体の信認が基軸通貨国アメリカの政策に依存するという意味では、より不安定なものとなっている。

 戦後の国際通貨システムは、一貫してドルを中心とするシステムであり、システム全体の安定性がアメリカの政策に大きく依存してきた。1969年に創設されたSDR(IMF特別引出権)は、ドルに替わる国際管理通貨として期待されたが、その役割は限定的なものにとどまっている。また、1974年にIMF20カ国委員会により提出された『国際通貨制度改革概要』は、主要国間の平等な介入と資産決済に基づく安定的な平価制度を提案したものであったが、具体化することなく今日に至っている。80年代には、ドル、マルク、円の主要3通貨の間の為替相場を安定化させようとする、いくつかの「3極通貨圏」構想が提案されたが、実現していない。問題は、いずれの提案もアメリカに対して政策節度を要求するものであり、「ドル本位制」を謳歌するアメリカにとっては受け入れるインセンティブが働かないからである。その意味で、ユーロの登場は後述の通り、このような状況を変化させる可能性を持つものと期待できる。

 

(2)グローバリゼーション下の為替相場制度の選択

 グローバリゼーションは、発展途上国にとって金融政策と整合的な為替相場制度の選択を、より困難にしてきた。通貨危機の直後には「政策トリレンマ」のうち、自由な資本移動を前提とすると、「ハード・ペッグかフロート制のいずれかしかない」とする見解(Two Corner Solutions)が有力であった。アジャスタブル・ペッグ(調整可能な固定相場制)を採用していた国々で通貨危機が発生する一方で、香港やアルゼンチンのようにカレンシー・ボード制のようなハード・ペッグ制を採用していた国々が通貨危機を回避できた点を評価した結果である。しかし最近では、ハード・ペッグとフロート制の中間に位置する、より弾力的な為替相場制度を採用すべきであるとの提案が多くなっている。

さらには、ハード・ペッグの代表であったアルゼンチンの通貨危機は、新たな問題を提起した。アルゼンチンはカレンシー・ボード制を採用することで、80年代のハイパー・インフレを克服し、メキシコやブラジルといった近隣の通貨危機からも自国通貨を防衛することに成功した、「優等生」であった。しかし、財政赤字を国内でマネーファイナンスできない代わりに、外国からの借り入れに依存し、対外債務を累積させたことで破綻した。アルゼンチンの通貨危機から得られる教訓として、以下の点を指摘できよう。@いかなる為替相場制度も、その制度と整合的な金融財政政策運営なしには維持できない。Aある時点で最適な為替相場制度が、永久に最適とは限らない。Bある国の最適な為替相場制度は、外的な環境(中心国の政策、近隣国の為替相場政策など)に影響される。

アジア通貨危機の経験を踏まえて、アジア諸国はドル・ペッグではなく、ドル・ユーロ・円の通貨バスケットにペッグすべきであるとの提案がある。これは、アジア諸国の貿易相手国が多様化していることから、その実効為替相場を安定化すると同時に、為替リスクがドル・ペッグ制に見られた過剰な資金流入を減少させるとの期待からである。ところで、20014月にアルゼンチンは「1ユーロ=1ドルとなったところで、ドルとユーロを準備とするカレンシー・ボード制に移行する」と発表した。この背景には、典型的な「ドル圏」と考えられてきたアルゼンチンやブラジルにおいても、EUはアメリカと並ぶか、それ以上の貿易相手国としてのシェアを持っているという現実がある。

グローバリゼーションの結果、貿易面でも益々相互依存度が高まっていることを考えると、エマージング・マーケットやそれに続く発展途上国の安定的な為替政策を考える上でも、主要通貨間の相場安定を目指した、緩やかな政策協調が求められているといえよう。

 

5 ユーロ登場の意味

(1)国際通貨としてのユーロ

 19991月には非現金形態で、また20021月には現金形態で、欧州単一通貨ユーロが導入された。ユーロは、ユーロ地域12カ国の共通通貨にとどまらず、ドルに対抗しうる有力な国際通貨として期待されている。

 国際通貨の諸機能におけるシェアという点では、ユーロは当面は「多様性に支えられた」国際通貨マルク以上のシェアを持つことは期待できない。しかし、ユーロ未加盟のEU3カ国、EUへの加盟を申請している中・東欧諸国は、ユーロ地域との貿易・資本取引を通じた経済的な結びつきが強く、またイギリスを除くとユーロを為替政策・金融政策の基準とした政策運営を実施している[9]。このように考えると、ユーロは貿易や資本取引の契約・表示通貨といった機能(図表15)を中心とする「下からの国際通貨化」、および基準通貨の選択を通じた公的レベルの国際通貨の機能を中心とする「上からの国際通貨化」という2つのルートから、次第に国際通貨としての地位を確立していくと考えられる。「ユーロ圏」の形成である。したがって将来的には、GDPの規模では「ドル圏」にかなわないとはいえ、国際通貨システムは「ドル圏」と「ユーロ圏」という2極通貨圏から構成される(図表17)。

 このとき、外国為替市場においてはドル対ユーロを基軸として、ドル及びユーロを中心とする単線的な為替市場(図表16)がその周辺に形成されることになり、「ドル本位制」あるいは「マルク本位制」のような為替媒介通貨の役割は縮小することになろう。

 ユーロ地域は、全体としてはアメリカ、日本並みの閉鎖経済となり、ECBの為替政策はアメリカと同様の域内志向になると考えられる。実際、ユーロ導入後の対ドル相場の下落に対し、ECBは@金融政策の目標はあくまでも物価の安定であり、A為替相場は金融政策運営の「2本の柱」のうちの2本目、すなわちインフレリスクを評価するために用いる経済・金融指標の一つであり、B為替相場の水準や動きはそれが物価の安定を脅かす場合にのみ考慮する、という姿勢を基本的に貫いている。このように、アメリカの財務省とECBがともにビナイン・ネグレクト政策を採用すると、ドル・ユーロ2極通貨体制は国際通貨システムとしては不安定化する危険性を持っている。

国際通貨システムの安定という観点から、さらにはエマージング・マーケットの安定的な為替政策の観点からも、アメリカとユーロ地域の間の政策協調が、これまで以上に必要とされる所以である。

 

(2)投資通貨・調達通貨としてのユーロ

 ユーロの国際通貨としての機能が当初限定的なものにとどまるとする予想の中で、投資通貨・調達通貨としてのユーロに対する期待は高かった。ユーロの導入により、これまで通貨別に分断されていた金融・資本市場がユーロ建てに統合される。その結果、金融市場では市場の厚みと流動性の増大により、ビッド・アスク・スプレッドが縮小し、債券市場では為替リスクの消滅によって、各国の債券の利回り格差が縮小する。これらの要因が、域内および域外とのクロスボーダーでのユーロ取引を活発化させると期待されたのである。国際債の発行を見ると、ユーロのシェアは上昇している(図表14)。また銀行貸出市場では、ユーロは51.0%2001年)と、ドル(50.3%)を上回っている。しかし、これらの数字は域内のクロスボーダー取引も含む数字で、域外とのクロスボーダー取引におけるユーロのシェアは、現在のところ低い水準にとどまっている[10]

 域外との資本移動を見ると(図表10,11,12)、ユーロ地域(EU)からアメリカへ巨額の資本が流出しており(99年にはM&Aを中心とする直接投資が、2000年以降は債券投資が中心)、それがユーロ安を引き起こす原因でもあった。しかし、2001年以降はアメリカへの資本流入は世界レベルで縮小傾向を見せており、アメリカ経常赤字のサステナビリティ問題を再燃させると同時に、国際的な資金循環も変化させる可能性がある。

 ユーロ建て金融・資本市場の整備が進むと、中期的には、Bergsten1997)が指摘するように、ユーロは投資通貨・調達通貨としてドルに並ぶ存在になることが十分期待できる。Bergstenは、ドルからユーロへのポートフォリオ・シフトが持つ為替相場への効果を強調したが、ここではそれがアメリカの政策節度に対して持つ効果を重視したい。アメリカが経常赤字を継続しうるのは、言い換えれば貯蓄を上回る投資を可能にしているのは、海外からの資金流入によって赤字がファイナンスされているからである。また、アメリカは基軸通貨国であることから、赤字はとりあえず対外短期債務の形で自動的にファイナンスされ、その後ドル建て金融資産に投資されたが、ユーロの登場は対米短期債権がドル建て金融資産にではなく、ユーロ建て金融資産に転換される可能性を持つからである。そのような転換が大規模に起これば、アメリカの経常赤字は「自動的に」ファイナンスされなくなり、経常赤字の削減という形で、アメリカを政策協調に向かわせる効果が期待できよう。

 

グロバリゼーションは、各経済主体の自由なファイナンスを保証するという効果を持つ一方で、マクロレベルでは各国間の政策協調を一層必要なものとしているのである。Eatwell and Taylor2000)は、グローバリゼーションは政府に「健全な規律」を課す力があるが、アメリカのみは例外であるとしている。ユーロの登場が、アメリカを含む主要国間の政策協調へのインセンティブを高め、国際資金循環を安定化することを期待したい。

 

参考文献

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[1] 資本移動自由化の賛否両論については、フィッシャー(1999)を参照されたい。

[2] 例えば、タイ(1988-94年)にはGDPの9.34%の資金流入があった(World Bank, Private Capital Flows to Developing Countries, Oxford University Press, 1997)。

[3] Despres, Kindleberger and Salant(1966).

[4] 藤田誠一(1988)は、「基礎収支均衡論」を国際通貨性の条件として論じている。

[5] 片岡 尹(2001)、Cページ。

[6] ここで取り上げられている反グローバリズム論とは、@アメリカは経常収支赤字をファイナンスするために資本の流入を必要とする、Aアメリカは資本流入を維持するために自国の金利を高めに維持する必要がある、B資本流入によってアメリカの対外債務は累積する、Cアメリカは流入してきた資本を海外に再投資し投資収益を稼ぐ必要がある、というものである。

[7] Mann1999,Holman2001)など。

[8] 詳しくは、藤田誠一(2002)を参照されたい。

[9] ブルガリア、エストニアなどはユーロを準備とするカレンシー・ボード制を採用している。また、ユーロを基準とするクローリング・ペッグ制を採用していたポーランド、ハンガリーは相次いでインフレ・ターッゲットに移行したが、これらはERMUの基準を満たすべくインフレ抑制政策を採用したものと理解できる。

[10] この点については、Detken and Hartmann(2000)、岩田健治(2002)を参照されたい。